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物理学や計算科学の手法でマクロな経済現象を解明する

K computer Newsletter No.16 : Interview
藤原義久 兵庫県立大学大学院シミュレーション学研究科 教授

藤原義久 Yoshi Fujiwara

兵庫県立大学大学院シミュレーション学研究科 教授

撮影:奥野竹男

経済現象にはまだ多くの理解すべき課題が残されています。
実際、デフレ脱却、経済危機の予防や緩和など、未解決な問題があります。
藤原義久さんたちは、物理学の手法や計算科学と「京」を駆使して、マクロな経済現象を大規模な実データに基づいて明らかにし、それらの問題の解決の糸口を探ろうとしています。

宇宙論から経済物理学へ

量子論や相対論を駆使して宇宙の始まりなどの解明を進めていた藤原さんは1990年代末、株価のデータを物理学の手法で分析してみました。「それまで私は、株価の変動には規則性はないと思っていました。ところがデータを分析してみると、あるパターンが見えてきました。それは、物理の実験や観測データに見られるパターンと比べても、圧倒的にきれいなものでした。それがとても意外で、経済現象に興味を持ちました」

物理学者が経済学に参入して、経済の大規模なデータを物理学などの手法で分析して経済現象を再現する数理モデルをつくり、計算機を使ってシミュレーションを行う研究が、1990年代から盛んになり、「経済物理学(Econophysics)」と名付けられました。藤原さんも宇宙論から経済物理学に転じ、個人所得データなどの分析を進めました。

生産ネットワークで連鎖倒産を分析する

藤原さんは2005年ごろ、(株)東京商工リサーチに企業取引に関する詳細なデータがあることを知りました。「それは各企業の業績とともに、ある企業がどこから材料やサービスを仕入れ、それに付加価値を加えた商品をどこへ販売しているのか、取引関係が分かるデータでした。しかもそれは、日本で実際に活動している企業をほぼ網羅したものです。そのデータを物理学や計算科学の手法で分析すれば、企業間の相互作用や関係性を表す生産ネットワークを国家レベルで計算機の中に描き出すことができます。ぜひ、そのデータを分析させてほしいとお願いしました。しかし、それは東京商工リサーチが独自に調べ上げた最重要データなので外部に提供することは難しいと、なかなか了承が得られませんでした。粘り強く交渉を続けた結果、最終的には約100万社、取引数400万以上にわたる巨大なデータを提供していただきました」

生産ネットワークから、どのようなことが分かるのでしょうか。図1は、ある食品スーパーの直接の取引先と、取引先の取引先を示したものです。「2ステップ先まで調べると、実に多くの企業が関わっていることが分かります。企業から平均5ステップ先まで調べると、日本のほぼ全ての企業が網羅されます」

これまで、企業を分析する場合、直接の取引先しか調べないケースがほとんどでした。しかし、ある企業が倒産すると、2ステップ先、3ステップ先へと影響が及び、連鎖倒産が起きるケースがあります(図2)。

「生産ネットワークを分析すると、同じところから部品を仕入れている企業を全て抽出することができます。例えば、ある地域の部品メーカーがごく少数の会社に製品を販売しているとき、その販売先が倒産すると、それらの部品メーカーは大きな影響を受けます。また、それらの部品メーカーを仕入れ先とするほかの企業群にも影響があるかもしれません。そのような影響を共通して受けやすい企業グループが生産ネットワークから分かります」

図3の各点の大きさは企業の規模、色は業種を表しています。そして、影響を共通して受けやすい企業グループは近い場所に配置されています。「ある企業が倒産すると、材料を仕入れられなくなったり、商品の代金を回収できなくなったりして経済ストレスを受けます。私たちはある企業が倒産した場合に、経済ストレスが生産ネットワーク上をどのように伝搬(でんぱん)していくのか、『京』を使ってシミュレーションを行い可視化した動画を作成しました。図の光っているところが強い経済ストレスを受けた企業です」

図1 生産ネットワーク

図2 生産ネットワークと連鎖倒産

図3 生産ネットワーク上を伝搬する経済ストレス

動画はこちら

マクロ経済を理解し、政策立案に役立てる

藤原さんたちのシミュレーションは、経済学者たちから大きな注目を集めました。「経済産業省が所管する政策シンクタンクである経済産業研究所が、東京商工リサーチのデータを定期的に購入して分析するようになりました。また、ある経済学者は、私たちが生産ネットワークを分析できる巨大なデータを発見したことで、多くの経済学者が新しい研究を始めることができるようになったと高く評価してくださいました」

景気循環や経済成長、デフレ(物価の持続的な下落)といった国家レベルの経済現象を扱う分野をマクロ経済学といいます。「従来のマクロ経済学は、代表的な企業や家計の振る舞いを単純に足し算すればマクロ経済が分かるという発想でした。私たちは、マクロ経済を理解するには、ネットワークや相互作用それ自体が不可欠だと考えています」

このような研究の進展により、マクロな経済現象を大規模なデータに基づいて理解できるようになれば、デフレ脱却、経済危機の予防や緩和、災害からの経済復興など、さまざまな経済政策を立案するための科学的な手掛かりを与えることができるようになると期待されています。例えば、経済危機が起きたとき、連鎖倒産を防ぐ有効な経済政策を立案する上で、経済ストレスの伝搬シミュレーションが重要な知見を与えてくれるでしょう。

ただし藤原さんは、「経済物理学はまだ、政策決定に示唆を与えるレベルに達していません」と言います。「私たちが『京』の中に描き出した生産ネットワークには、金融機関や労働者・家計、政府が入っていません。今後、それらを組み込んだ経済ネットワークを計算機の中に描き出し、分析・予測できるようにする必要があります」

藤原さんは、「全ての人にチャンスを与える社会を目指すべきです」と訴えます。「賃金が低過ぎると、結婚して家庭を築いたり、子どもが教育を受けたりするチャンスが奪われてしまいます。全ての人にチャンスを与える社会を実現する上で、最低賃金の設定が重要です。最低賃金を上げた場合に、家計の消費がどれくらい拡大するか、企業にどのような影響が出るのかをシミュレーションできる数理モデルをつくり、最低賃金の議論に貢献できるようにしたいですね」

ポスト「京」で経済学の新手法を開発する

理研の計算科学研究機構(AICS)では、2020年ごろの稼働を目指して、ポスト「京」の開発が進められています。

「ポスト『京』では、スクリプト言語という、より簡便なプログラム言語を使っても計算ができるようになるそうです。それにより多くの経済学者がポスト『京』を使って経済のシミュレーションを行うことができるようになります。企業や金融機関、家計、政府などから成る経済ネットワークの関係性や相互作用を分析する手法はまだ不十分です。さまざまな研究者がポスト『京』を活用することで、経済を科学的に分析するための新しい手法が開発されていくでしょう」

藤原さんも、ポスト「京」の萌芽(ほうが)的課題のプロジェクトに参画して、大規模なデータに基づくマクロ経済シミュレーションの開発を進めています。

経済を分析する手法を開発するには、新しい数学を導入したり人工知能(AI)を活用したりすることも重要だと藤原さんは指摘します。「企業の財務や取引データをAIで分析して、将来大きく成長する企業に共通するパターンを見つけ出す研究を、私はIT企業と共に進めています」

経済物理学という新しい研究分野は、経済学者からも物理学者からも理解されず、研究費の調達や経済データの入手に苦労することが多かったと振り返る藤原さん。「一方で、科学的に手付かずの経済現象を新しい手法で分析してパターンや法則性を発見することが、経済物理学の面白さです。私の大きな目標は、経済に新しい科学の光を当てることです」

(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)

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