「京」の中で都市を揺らす
「想定外」を極力減らすための地震被害シミュレーション
「京」の中で都市を揺らす
「想定外」を極力減らすための地震被害シミュレーション
東京大学地震研究所 教授
総合防災・減災研究ユニット ユニットリーダー
3年前に起こった東日本大震災では、想定外の巨大地震への備えが不十分だったことが指摘されました。今後、適切な防災・減災策を講じるためには、さまざまな地震が起こったときにどのような災害が発生するかを、科学的・合理的に予測することが必要です。堀さんは「京」を使い、おもに都市を対象として、地盤・建物の揺れ方から人々の避難行動にいたるまでの統合シミュレーションに取り組んでいます。これまでの成果と今後の展望を、堀さんに聞きました。
「人類は2000年以上前から建物をつくってきましたが、建物の損壊と地震の関係がはじめて研究されたのは、1923年の関東大震災のころからです」と堀さんは切り出しました。このとき、建物が受ける水平方向の加速度がはじめて設計に使われたそうです。1940年ごろにアメリカで測定された地震波が利用され、以後、耐震設計をはじめとする地震工学の研究が発展してきました。近年では、1つの建物をモデル化(「スパコンのことば」参照)したうえでシミュレーションを行い、地震の際の揺れ方や大きな力を受ける箇所を明らかにして耐震設計に役立てています。
しかし、都市には非常に多くの建物があります。地震被害を予測するときに、すべての建物をモデル化し、シミュレーションすることはとてもできません。では、自治体などが行っている地震時の被害予測はどのように行われているのでしょうか?「実は、経験に基づいているのです。過去の地震の際、どのぐらいの震度で建物がどのぐらいの被害を受けたかを示すフラジリティーカーブ(図1)に基づいて計算しています。しかし、古い耐震基準に基づいた建物は壊れやすいですから、経験に基づくと被害は大きく予測されがちで、信頼度が高いとは言えません。他に方法がなかったので、経験に頼ってきたというのが実情です」と堀さんは説明します。
そこで、堀さんたちは「京」の高い計算能力を活かし、これまで不可能だった「都市をまるごと揺らす」シミュレーションに取り組みました。地震が起こると、地盤が揺れ、その上の建物が揺れます。これを「京」の中で再現したのです(図2)。
シミュレーションの対象としたのは東京都心の東西8.0km×南北7.5kmの地域で、25万棟以上の建物があります。堀さんたちは、地図製作会社がつくった平面のデータをもとに、これらの建物を立体的なモデルにしました。地盤のほうは、地盤工学会のデータをもとに、粘土、砂、岩盤の3層に分けてモデル化しました。そして、1000ケースの地震の震動をこの地盤に与え、建物がどのように揺れるかを計算したのです。この計算から、どういう地震のときにどういう建物が壊れやすいかといった被害予測が可能になります。
堀さんは、「このように、科学的・合理的に被害を予測できれば、その予測をもとに防災対策の優先度を決めることができます。さらに、もっと多くのケースの震動をシミュレーションに用いることで、『想定外』のケースを少なくすることにつながります」と今回の成果の意義を語ります。
地震の被害は、建物の損壊だけではありません。東日本大震災で多くの犠牲者を出した津波は、南海トラフの巨大地震が起こった場合にも大きな被害をもたらす可能性があります。そこで、堀さんたちは、地震と津波の複合災害のシミュレーションも行いました(図3)。「都市の場合と同じような地盤と建物のモデルに、津波が侵入したときの水の動きを、粒子法*1でシミュレーションしました。その結果、地震で建物が倒壊した場合としなかった場合では、水の流れが異なることが明らかになりました」。
さらに、地震や津波の際には、人々がいかにスムーズに避難できるかも、被害の大きさを左右します。堀さんたちは、高知市の20万人の住民が高台に避難するシミュレーションを「京」で行いました。堀さんは、「避難行動のシミュレーションにはいろいろなやり方があるのですが、我々は、マルチエージェントモデル*2を使いました。住民の一人ひとりが周囲の状況を見て適切な方向を考え、衝突しそうになったら速度を落とすという行動パターンをもつとして計算したのです」と、リアリティを重視したことを強調します。このようなシミュレーションは、効果的な避難誘導の仕方や、避難標識の設置場所などを考える際の有力な情報となります。
堀さんたちは、地盤と建物の解析、津波の解析、避難行動の解析のために、それぞれ異なるモデルをつくり、異なる計算手法を開発してきました。解析に必要な種々のデータも入手してきました。「今後は、より現実に近いシミュレーションを行うため、これらの要素(コンポーネント)を組み合わせて使い、多様な計算をすることをめざしています」と、堀さんはさらに先をみています。
*1 : 天体、水滴、分子などの粒子に数値を置き、粒子の運動を支配する方程式に従って計算する方法。ここでは、粒子法のうちでも恒星の運動を計算するために使われる方法を応用した。
*2 : 複数の人が同時に活動し、相互作用する状況をシミュレートするためのモデル。人を、一定のルールに従って行動する「エージェント」であると見なす。
ここまでの話は、堀さんがHPCI戦略プログラム「分野3 防災・減災に資する地球変動予測」*3のメンバーとして行っている研究です。計算科学研究機構総合防災・減災研究ユニットのリーダーとしての堀さんは、分野3で開発したモデルづくりと計算のためのプログラムを、神戸市や兵庫県内の都市に適用する研究を進めています。「神戸市からは、建物の構造に関する詳しいデータを提供していただけたので、東京都心よりも精密なモデルをつくってシミュレーションを行うことができます。他の地域でも、科学的・合理的な予測手法があるとなれば、詳しいデータを提供していただきやすくなりますから、より精度の高いシミュレーションができるようになると期待しています」と、堀さんは今後の展望を語ります。
堀さんはさらに、「京」のために開発したプログラムを全国の大学のスパコンで利用してもらおうという計画も進めています。「地震被害の予測は、地域ごとに行わなければなりません。大学のスパコンで『京』と同じ規模の計算はできませんが、対象とする面積を10分の1にすれば、同じ精度の計算はできる。そうなれば、多くの地域について科学的・合理的な被害予測ができることでしょう」。
地震の防災・減災のための本格的なシミュレーションはまだ始まったばかりです。シミュレーションに必要なさまざまなコンポーネントをパワフルに生み出し続ける堀さんは、これからもこの分野の研究を牽引し続けるに違いありません。
*3 : 「京」をはじめとする日本のスパコンを最大限に活用して世界最高水準の研究成果の創出をめざす5分野のうちの1つ。
「私の専門は土木で、大学を出たらゼネコンに入り、アフリカに行って橋をつくりたいと思っていました」という堀さん。なぜ、研究者になったのでしょうか?
堀さんは、大学卒業後、指導教官に勧められてアメリカのノースウエスタン大学に留学したものの、すぐに帰りたくなってしまったそうです。しかし、留学先で堀井秀之さん(現 東京大学教授)に出会ったことが転機となりました。4歳年上の堀井さんに、勉強で徹底的にしごかれているうちに、研究が好きになっていったのです。その後、留学先で博士号をとり、帰国して大学の研究者となりました。
「先生ではなく先輩に教えてもらうと、教え方はうまくないかもしれませんが、熱く教えてくれる。堀井さんが教えてくれた連続体力学はしっかり身につき、今の研究を進める上で大きな強みになっています」と語る堀さん。今の若い人たちにも、いい先輩との出会いがあることを願っているそうです。
2014年3月18日発行