最近、毎週のように日本各地を駆けずり回って「第四次産業革命」と「人工知能社会」の到来について講演をしている。
18世紀後半にイギリスに端を発した産業革命は「人の労働を機械が肩代わりする」ものだった。その後、人類は、エレクトロニクスやコンピュータの発展により、第二次、第三次の産業革命を経験し、いまや、人工知能やロボットに代表される「超計算・異次元情報化」の第四次産業革命が進行中だ。
カメラ・精密機器メーカー大手が、人工知能とロボットで自社工場を完全自動化する計画を発表したり、世界中の自動車メーカーが人工知能による自動運転技術の開発にしのぎを削っている。ハイテク企業は生き残りを賭けて、すでに戦いの先陣を切っている。
日本の産業界はすでに15年先の未来に向けて動き始めているわけだが、一般の人々の認識はそこまで進んでおらず、特に遅れているのが(残念ながら)教育関係者である。
人工知能でいったい社会はどう変わるのだろうか? たとえば、何万とある医学論文を人工知能に機械学習させて、特殊ながんの診断と有効な治療法を提案してもらう。あるいは、インターネットを通じ、人工知能の同時通訳を介して、地球の裏側のビジネスマンと買収交渉を進める。
比較的パターンが決まったコンピュータ・プログラムも人工知能が書くことになる。そして、日本中の「お役所」の書類業務のほとんどを人工知能に肩代わりしてもらえれば、無駄な税金を払う必要がなくなる!
これまで、いわゆるホワイトカラーの仕事とされてきた業務の多くが、人工知能に取って代わられるのだ。すでに人工知能は将棋、碁、アメリカの会計システム等では人智を凌駕しつつあるが、今後15年で、ルールが定まった仕事のほとんどは、人間ではなく人工知能が担当することになるだろう。
えええ? 人工知能がペーパーワークから通訳やプログラミングまでやってくれちゃうの? じゃあ、いまさら英語やプログラミングを勉強しても意味がないんだね?
いいえ、それはちがいます(きっぱり)。
たとえば英語は、現在、世界の共通言語であり、インターネットから情報を引っ張ってくる場合にも英語と日本語とでは情報量に圧倒的な差がある。だから、少なくとも15年後の未来においては、英語がしゃべれて得することはあっても損することなどない。また、プログラミングも、そもそも人工知能自体がプログラムの塊なわけで、その中身に精通していることは、人工知能と協働するためにも欠かせない。さらにいえば、人工知能のプログラム作成作業を「統括」するのは、あくまでも人間のマネージャーなのだ。
だから、英語もプログラミングもとても大切なのです。
ところで、いま、統括という言葉を使ったが、ようするに、下働き的な知的作業(クラーク)はすべて人工知能が代替するわけだが、トップでまとめる仕事(マネージャー)はあくまでも人間がやる。
いまでも、たとえばレストランで客が苦情を言い始めたら、店長が知恵を振り絞って事を収めるではありませんか。マネージャーには、決まり切ったルールを超えた、クリエイティブな対応が求められる。
というわけで、決まり切った仕事はすべて人工知能に振って、人間様は創造的な仕事にだけ集中できる、理想的な未来がやってくるというわけなのだ。
こんなふうに書くと、人工知能はいいことずくめのようだが、もちろん、産業革命に犠牲はつきものである。第一次産業革命のときも機械に仕事を奪われた人々が「機械打ち壊し運動」を始めた。実際、世界中のシンクタンクは、15年後、現在の仕事の50%から65%が人工知能に取って代わられると予測している。人工知能に仕事を奪われた人々はいったいどうすればいいのか。
あえてきついことを言わせてもらえば、お役所でぬくぬくとハンコばかり押していたような人は、もういらない。そういうワンパターンの仕事をしてきた人々に市民の血税から給料を払う必要などない。これからは、ケースバイケースで工夫をし、顧客の満足度をアップさせるために創造的な仕事をしてきた人々が評価され、活躍できる時代がやってくるのだ。
創造的なマネージャー系の仕事以外にも残る仕事はある。それは「人とかかわる仕事」だ。たとえば、学校の先生、保育士、介護士、セラピストといった仕事は、将来も人間が担当することになるだろう。人とのふれあいは、クリエイティブの極致であり、あくまでも人の仕事に留まる。
人工知能でよく取り沙汰されるのが「技術的特異点」の問題だ。これは、近い将来、人工知能が人智を凌駕し、「人間はなんて馬鹿なんだろう。もう人間なんていらないや」という結論に達し、人類を抹殺する、という暗黒の未来像である。
う、たしかに、将棋、碁、会計作業では人工知能が人智を凌駕しつつあるわけだし……なんだかヤバイんじゃね?
読者のご心配もごもっとも。だが、現行の人工知能の仕組みでは、悲惨な結末になることはない(きっぱり)。これはほとんどの人工知能の専門家が指摘していることだが、人工知能は、自分がやっている仕事を「意識」することがない。彼らは人間の脳の複雑な仕組みをもっているわけではなく、あくまでも単純(だが膨大な)知的作業の仕組みだけを搭載している。文字通り「機械的」に仕事をしているわけで、仕事の意義や、自分が仕事をしている自覚はない。
ええと、これはちょうど、人間が疲れてボーっとしながら、半ば自動的に作業をしている状態に似ている。いつもの仕事をこなしているけれど、ほとんど上の空。仕事をしている自分を意識することもない。
人間には「気づき」や「自意識」があるけれど、現行の人工知能には、そのような仕組みは搭載されていないから、当分の間、われわれは人工知能の反乱を心配する必要はない。
最後に一言付け加えておきたい。15年後といえば、いまの小学生が社会に出る時期にあたる。だから、今すぐ、小学生の教育を改革する必要がある。文科省も2020年からプログラミングを必修にすることを決めたようだが、(すでに小学生のプログラミング授業をやっている)現場目線で言わせてもらうと、今の小学校の先生はプログラミングを教えることができない、という大問題がある。私は現在、地方の小学校向けにプログラミングの授業を配信するプロジェクトを始めているが、人工知能時代に合わせて、日本中の教育委員会が本気で教育改革に取り組まなければ、世界の流れに取り残されてしまう。
はたして日本は第四次産業革命と人工知能社会の荒波を乗り切ることができるであろうか……その答えは……15年後に出る。